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再稼働

大震災が発生して数ヶ月。
周囲に色んな変化が出てきた。

これまでボランティアに関心のなかった仲間たちは、堰を切ったかのごとく、被災地へと向かい、
師と仰ぐ方は大量の学生を現場に労働力として送り続けている。
短い滞在のために、中国から帰ってきた男もいる。
弟分とも呼べる後輩は休職して、被災地に移り住んだ。


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『ワークキャンプで世界を変えたい。力を貸してください』
今春、中国の広州に行った際、彼は土下座をして言った。
私は酔いが回っていたこともあり、はっきりとそれに答えず、笑って誤魔化した。


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聞き慣れない言葉かもしれないが、ワークキャンプ(以下、WC)の歴史は長い。
戦後復興のためにGHQが持ち込んだアメリカのWCが、日本におけるその源流だ。

数日から数ヶ月、長い場合は数年に渡ってキャンプは続く。
単なるボランティア活動とは違い、支援対象となる人や場所から、
近い距離に身を置きながら活動することが、その最大の特徴ではないかと、私は考えている。

中高生にとって、告白の定番と言えば、文化祭や体育祭、そして修学旅行だろう。
恋愛だけでなく、人と人との距離を縮めるのは、目的を共有している時や寝食を共にする場面だと思う。

ひとつのWCが終わる時、支援者と被支援者の境界は極めて、曖昧になる。
双方が問題解決の一端を担い、それぞれが抱える問題を当事者に近い感覚で理解できるようになるからだ。


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氷(社会問題)を、外から溶かそうとするのではなく、
ど真ん中(現場)に入り込んで、中心を熱くしていく活動-。

私の後輩は、ワークキャンプをそう表現する。
その言葉を体現するかのように、彼は被災地で汗をかいている。

家族 住居 職 コミュニティ 風景
生活基盤の全てを失った被災者にとって、
確かに復旧復興とは到底呼べないような状況が、依然としてそこにはある。

だけど、私は思う。
数ヶ月もの間、仕事を投げ出して、共に在ってくれる若者がいる。
ただそのことだけで、支援と呼べるのではないだろうか。

土下座はしないまでも、今度は私の方からお願いしたい。
『ワークキャンプで世界を変えるために、力にならせてください』と。

被災地活動日誌 遠東記
http://blog.canpan.info/entoki


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翻って、私はというと悶々とした毎日を送ってきた。

研究者になってから、私は祈っていない。
人が祈っている、話している、願っている姿を、私は研究の視点でしか捉えていない。
可能な限り『私』を排除し、与えられた役割に徹し、それを演じようとしてきた。

『私』での出逢いがないことは、益々『私』を見失うことにつながった。
丹念に育てあげてきた自分の感性が、どろどろと溶けていくような感覚を拭えずにいた。
溶け出たあとに残る『私』は何者だろうか。

『今の瞬間、この場所にいるべきなのか』
この数ヶ月の間、幾度となく繰り返してきた自らへの問いだ。
答えは出ない。恐らく、この先もずっと、だ。

だけど、それでいいのだと思う。
それでいいと思えたから、半年ぶりにこうしてキーを叩くことができた。
『私』が言葉を綴ることが、今の自分にとっては必要だ。
それが、今この瞬間の答えだ。

『生きる力を高める』がテーマの、
はばたきブンブンにはそぐわない内容ですが、
今後とも宜しくお願いします。

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