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首相直轄の独立安全調査委員会を

久しぶりに土曜日の朝、新聞をゆっくり見ていた。

日航機墜落事故慰霊式で国土交通相が、警察の捜査より、自己原因究明のための運輸安全委員会の調査を優先させたいとの、同委員会の調査権と警察の捜査権の優先権についての記事から、日本のリスク管理が未だにしっかりしていないことに呆れていた。

政府の省庁による縄張り争いに始終し、国民の安全を国が守る国家という名のついた安全委員会の発想も出ていない。

エイズ感染被害が発生したとき、その原因を即座に調査するために、航空機事故調査委員会のような安全調査委員会がなぜ起ち上がらないのかと思ったのは、東大医科研での検査治療体制を整備したり国内献血による血液製剤の供給を厚生省や日赤に談判しに行ったりしていた1986年頃、東京地裁の面談室や弁護士会の面談室でたびたびの会合をしていた全国ヘモフィリア友の会エイズ問題対策委員会の三人組時代だった。

国の危機管理の一環として、こうした仕組みを提訴時、訴訟活動時代、和解の恒久対策の要求を考えた頃、そして和解後の血液の安全を確保するための血液法案を考えていたときと、ずっと思いを引きずっていたのは、数年という短い期間に数百人の死者を出す事件を国は危機管理的調査委員会を持って対応しないのはなぜ、何故と思い続けていたからだ。

今もそうだ。
先のフィブリノーゲン製剤使用の薬害肝炎訴訟による薬害再発防止策が出されて監視組織が提言されたが、未だ組織の性格づけの検討どころか立ち上がるのかどうかの決定もない。

最高決定権限者は責任を持たない日本は、いつまで続くのか。
それが、大中小、どこにも蔓延っている。

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