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ひとり歩く




『大規模な反日デモ』
実によく出来た言葉だと思う。

大規模の定義もなければ、
反日やデモの定義も定かではない。

口を揃えたかのように中国国内の格差や不安を指摘し、
その表象の裏側を取ったような発言、
特に『複雑な背景を読み解いています』的な見せ方が目立つ。

日本でも週末になれば街宣車が走り、
駅前では右翼が演説をし、それなりの『規模』の人数が集まる。
それは『デモ』ではないのだろうか。

そもそも、中国全土で『反日』感情は高まっているのか。
一部の強い話題や画に焦点をあて、拡張してはいないか。



どうも、『差別』が生まれる瞬間と似ているような気がする。
適当に見える言葉がなんとなく当てられ、ふわっとした共通認識が生まれる。

誰かがその言葉を語る。
言葉が人伝えに伝わる。
知らず知らずのうちに、言葉だけがひとり歩く。

その『差別』が生じた背景を読み解いているように見えるが、
言葉や印象にばかり目が当たり、むしろマイナス方向への歩みを強くする。



新しいことばかりな毎日な気がするけど、
きっと同じようなことが、違う言葉で語られているだけなのだと思う。



かつて注目を集めた議題を持ちだすと、しばしば『古い』と言われるが、それは実を得ていない。
丁寧に丁寧に、歩んできた道を辿ることが、次なる悲劇を防ぐに違いない。



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