薬害被害者の聞き取り調査の過程で見えてきたのは、薬害エイズ対策初動期における国の失策だ。昭和五十八年六月、帝京大学・安部英を班長に発足した厚生省エイズ研究班はその鍵を握っていた。しかし、使用禁止の方向で動いたかに見えた非加熱製剤と一号患者認定を巡る議論は、そのわずか一か月後に正反対の決定を持って終了した。これを引きずる形で、対策は遅れ被害は拡大した。
この間の日本、アメリカ、そして血友病連盟の世界総会が開催されたスウェーデンと海を跨いでの関係者の動きは目まぐるしい。厚生省はもちろん、医師、製薬企業、報道機関、そして血友病患者、誰もがそれぞれの目的に向かって奔走していた。それが研究班の下した決定へと繋がる。
その後の裁判を経て、被告の加害責任は明確なものになった。しかし、あの時になぜ間違った道を選んでしまったのか、そこは明らかにされていない。約千五百名の被害者たちは、どうして自分たちが被害を負わなければならなかったのか、その理由を知らないままだ。権威側の癒着構造をはじめ、さまざまな可能性が指摘されるが、そのどれも推測の域を脱していない。
事件から二十数年が経過した今も尚、被害者の思いは変わらない。なぜ、どうして、あの段階で被害を止められなかったのか。それが知りたいだけだ、と。(誠)