暫くぶりに文楽を見に行った
3年以上は経っている。
南都東大寺を開山した良弁僧正が幼いころに鷲にさらわれたところを
義淵僧正に救われ、成人して立派な僧になった後に母に再開したという伝説を取り上げた作品(国立劇場鑑賞ガイドより)の「良弁杉由来」に、
文楽の濃いが上品な義太夫や三味線に涙涙して聴き入った。
菅家に仕えていた亡夫を偲んで形見の扇で舞っていると、突然山嵐が吹き荒れ、息子の光丸が山鷲にさらわれる。
母は半狂乱になって返して返してと叫び続ける。しかし、山鷲は光丸をつかんだまま空高く飛んで行ってしまう。
母は、狂ったようにずっとわが子を探し求め、それも30年もの間ぼろをまとった姿でいる自分に気づくところで、
南都東大寺の良弁という高僧が
幼いころ鷲にさらわれたが、成人して今や大僧正となっているとの話を耳にして、もしやと。
果たして、僧正は探し求めていた光丸だったと再開することが出来るという下り。
なんとなく、薬害HIV感染被害という突然起きた衝撃的な生命を奪う事件で、わが子が治療に使った薬で命を絶たれる母親が、
「かえして、かえして」と、外には口出せず胸の内に叫びまくった思いと重なった。
良弁杉由来では、晴れての結末を迎えたが、
薬害HIV感染被害は、どうして埋めることのできない大きく深遠なブラックホール
が今なお存在したままだ。
この穴を、どうやって少しずつ浅くすることが出来るのか。
内に向かっての精進、外に向かっての精進、二つの世界が相まって少しは変わるのだろうか。
その精進も各自違うのだろうが、ポジティブ、明るさに向かうことには違いないと思う。
でも、いまもってはらはらと涙がとならない出来事だ。