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原発大災害、仕事、家庭の団欒、どうとる責任

 

想定できない地震、津波、原発事故

特に原発の不十分な災害対策により、帰る場所を追い出された悲劇は

原発の責任会社は人、家畜、ペット、家、土地、漁船等々について全面的に

補償しなければならない。

始めの情報では、心配ないとの強調を原子力御用学者を動員して、マスコミ

をも巻き込み嘘をつきとおした。

家に帰れない突然の情報に促され、家族同様の生き物、家畜を安全な場所に

移すこともできないまま、見送ることになる。

この小さいこととも思われる悲劇、救おうとすれば、万一の危険性の時期から

安全な場所へと逃げる時間があったのに。

ずっと想定できなかった理屈付けが続いている。

薬害肝炎の検証と薬害を絶対起こさないための検討会に参加した時、

薬害が絶対起こらない対策と言っても人は必ず過ちを起こすことを避けられない

から、万一起こったときの最悪の場合の対策が重要だというような発言をしたら、

絶対起こさないが原則とすべきと怒られた。

でも、人の力は全知全能の神でもなく、ミスは起きることを前提に、

ミスの引き起きる最悪のシナリオをもとに、最小の被害で納める対策をすることが

必要だと考える。

浜岡原発停止の措置も、原発転換政策のとっかかりとするよう世論を

盛り上げていくのかと思ったら、

マスコミは多くがあっちを立てればこっちが立たずと日和見的な主張で決定打を

主張しようとしない。

静岡県知事のみが大英断と評価するにすぎない日本は、想定外の無責任な

一言で過ごす世論が続いていくのかと思うとばかばかしくなる。

被害に巻き込まれた当人たちがやはり一人がんばらなくてはいけない国、

薬害エイズ事件で医療者・行政・企業が被害の進行を客観的にかつ遠巻きにして

経過観察している姿勢を思い返す。

すぐ戻ってくるからねと愛犬を鎖につないだまま残して帰れなくなった飼い主が

一時帰宅したら、愛犬は穴を追って体を埋めたまま、命が絶えていたという。

寒さをしのぐために穴を掘って飼い主が帰ってくるのを待ち続けていたのだろう。

その記事を読んでいて涙が止まらなかった。

東電、行政の生きものの存在を物とした対応、怒りに激高する。

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