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差別する存在

誠(マコト)です。
若輩者ですが、宜しくお願いします。


こうした活動に関わる自分にとって、大きな経験がある。数年前に知人の紹介で訪れた、熊本県水俣市でのフィールドワークだ。

私が持っていた知識は、学校で教わった四大公害病としての水俣病。テレビや記録映画で見た発狂する患者、踊り狂う猫、防護服を着た職員の姿、その程度であった。しかし、それによって作り上げられたイメージは漠然としたものでありながらも、強固であった。

地域の障害者支援施設で私が出逢ったのは、胎児性水俣病患者の方々だった。
正直に言うと、重症患者は全滅しているという認識だったので、存在そのこと自体に驚きを覚えた。自分にとってはモノクロで、遥か昔に止まっていたはずの水俣病が、動きと色彩を帯びて、突然目の前に飛び込んできた。そんな感覚だった。

施設長のコーディネートの元で、交流会が始まった。水銀に侵され障害を背負わされた彼らに対して、ゆっくりと語りかける。目をしっかりと合わせ、手を握るなどして、私は私が仲間であることを伝えようとした。声を発することができない方とは、筆談をした。人生そのものが水俣病史である当事者の声に耳を澄ませ、心で繋がりたいと思った。ひとつひとつの行動に時間をかける彼らと関わる時間はあっという間に過ぎていった。

しかし振り返ってみると、そこにいた数時間、私が見ていたのは、永久に曲がったままの彼らの手首であり、口から垂れる唾液であった。私は、自分より年上の彼らに対して、小さな子どもに使うような言葉を無意識の内に選ぶ自分を発見した。既存の価値観で彼らを可哀そうな存在だと決めつけ、見下そうとする醜い己の姿だった。瞬時に汚いと判断し、距離を取ろうとする自分であった。
心を開き、繋がり合うことを相手に望みながら、一方で自身は表情を取り繕い、ありのままとはかけ離れた次元に意識が在ったのである。

この感覚を拭うことは数年経った今でも出来ていない。
HIV/エイズに感染している人と食事をする時、かつてハンセン病を患っていた方と対峙する時、障がいを持った方に出逢った時。特別な何かを抱える彼らを前にすると、内側に潜む差別心に気付かされる。相手の表情を必要以上に観察している自分に気付かされる。

私は、差別をしない存在でありたい。
相手に合わせて、言葉や態度を変えるような人間でありたくない。しかし、それが不可能であることを認識している。だけど、願い続けるその先にひとつの答えがあると思うから、私はそうありたい。

社会の中には今日も、様々な差別が根強く存在するが、その大半は黙殺という形で是認されている。ただ、この状況に胸くそ悪さを抱えている人が多いのもまた事実だと思う。しかし、何らかの障壁のせいで、直接の行動に結びついていないのが現状だ。

私が成したいのは、これを是正させることである。多くの人の心の琴線に触れるような言葉や届け方が必ずある。「啓発」という言葉が使われる時、批判されるのは受け手側になりがちだ。しかし、それは違うと私は考えている。発信する側・伝える側が丁寧に、相手に合わせた表現や手法をもってすれば、届かないはずはない。その手法を研究し実践するのが、私の使命であり役割である。


私はアマチュアですが、他の執筆者は皆、医療や患者活動のプロフェッショナルです。内容や表現含め、見劣りする部分も多々あるかと思いますが、ご愛読頂ければ幸いです。

(誠)

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