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苦言を呈す




ご挨拶が遅くなりましたが、本年も宜しくお願いしします。

先日酷い人権侵害を長年に渡り受けてきた当事者たちが、
その歴史を残すために、象徴的な施設を保存するようにと求め、
署名活動を行っているというニュースに触れた。

施設を残すことで、事実を語り継ぐ。
もっともらしく聞こえるのだが、敢えて苦言を呈したい。

その保護と保存のために莫大な税金が投じられ、
他の有効な空間活用が、ほとんど議論がなされないままに
【数多くの署名が集まったから】という理由で通っていいのだろうか。

行政側がこの嘆願を拒否したら、
【やはり国は、被害を軽んじている】などと糾弾されるのであろうか。

被害者だからということで、
何から何まで意見が罷り通ってしまうことに違和感を覚える。

社会に生きる大半が、歯を食いしばって生きる中で、
誰も批難できないような言葉と、
辛苦の人生を歩んできたという経験を武器に、
主張を通そうとする運動体を、私はどうにも応援する気になれない。

賛否ある意見であることは百も承知で、
敢えて苦言を口にする裸のコミュニケーションを、私は選びたい。

描く答えが一緒であることを確認しながら、
立場どうこうでない、人と人との関係性を構築した上で、人と対峙し、社会と対峙する。

その一端を担えるよう、実現できるよう、努力したい。 (誠)



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