『 こんな狭い日本で、住むところでなぜ違う、命を左右する医療格差 』
- 2014.1.27
 - 花摘|薬害HIV感染被害者の今
 
	[こんな狭い日本で、住むところでなぜ違う、命を左右する医療の格差]
	 今朝、ある遠方の地域に住むHIV感染被害者が亡くなった連絡が入った。
	経過は聞いていたが、東京だったら死ぬような病状ではなかったと思う。
	なぜ、あきらめられてしまったのか、あきらめたのか
	中国やロシアやアメリカのような広大な国のへき地ではあり得るかもしれないが、
	こんな狭い国土の日本で住むところで命が簡単にあきらめられてしまう医療、
	おかしい!
	被害者が日本のどこに住んで入れも東京や大阪のような濃厚な治療が行き渡る
	ようにと、
	エイズ治療拠点病院やそれをブロックで集中的に管理ケアしていくブロック拠点
	病院が大きな救済予算を使ってつくられた筈。
	現実は、時の経過とともに、責務・使命感・位置づけの意識は風化されている。
	投じられる予算も、責務なき漫然と使われているとしたら、断じて許せない。
	国の責任者は絶対そのようなことはないよう指導していくと言っているが、
	言っているそばから現場や中間的指導する部署は、何か絵空事を言っていると
	責任放棄のありさま。
	「被害者の救済? 国の責任なら、背かないように罰則規定でもしない限り
	動きません」と言ってのける医師がその象徴だ。
	“命は助かるんだ、あきらめるなよ”と声が続く限り呼びかける
	。