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アサダジロウ

出張でよく飛行機を利用する。JALを選ぶことが多い。

理由は親類や実家の向かいのお嬢さんがJALの客室乗務員だからではなく、JAL機内誌の『skyward』の浅田次郎のエッセーを読みたいからという気がする。

乗り物に乗り目をつむると5秒で睡眠状態に入れる私ではあるが、このエッセーだけは読んで眠るのでJAL搭乗の際は3分位は起きている。

『鉄道員(ぽっぽや)』や『蒼穹の昴』など名著はあれど、私の浅田次郎入門はエッセーである。

エッセーを読むためにJALに乗るのもなんだし、他にもエッセーを書いているはずだから、それらをまとめた本を読めばいいことに気づいた(何を今更、私の脳みそは・・・)

さて、先日『福音について~勇気凛凛ルリの色~』(週刊現代1996年10月19日号~1997年10月25日号)を読んだ。

その中の「老醜について」に目が釘づけになった。

「老醜」の実体を確認として、権威的な医学者をあげている。以後文章を抜粋すると

【たとえばここに、ひとりの権威的な医学者がいたとする。彼は存在が権威的であるばかりか、長い人生における学問の研鑽の結果、ある病気の治療に関する「権威」と呼ばれるまでに、自己のステージを高らしめた。「権威者」はその気になれば「権力」を行使することができる。すなわち、どのような現象も恣意的に導き出すことが可能なのである。仮に、彼の行使した権力によって社会的実害が現出した場合、彼が己の「老い」を楯にしてすべての責任を免れようとしたら、それこそが「老醜」というものの実体ではなかろうと私は思う】

 

”飛行機の友”としてエッセーで楽しませてくれる浅田次郎、何故こんなにも好きなのかの理由がわかった。

そして、何故か私の中では浅田次郎というよりはアサダジロウ、この理由はわからない。

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